100年前のパンデミックについて考える、その時日本はどう対処したのか(その2)

新しい生活様式

 上記の画像は、新型コロナ感染予防対策の新しい「生活様式」についてのキャンペーン用のピクトです。2020年1月6日に厚生労働省から、中国の武漢で原因不明の肺炎の感染が拡大していると、注意惹起の発表がありました。その後1月14日にはWHO(世界保健機関)から新型コロナウイルスを確認したと発表が行われました。感染症発生からわずかな期間で、原因ウイルスを確定できたことから、その対策として国内では三密の回避、ソーシャルディスタンスの確保、換気の励行、咳エチケット(マスクの着用)、手洗い、外出の自粛等の自衛対策が要請された、一方、世界の大手薬品会社では一斉に、ワクチンや治療薬の開発が始まりました。

 100年前の「スペイン風邪」の時はどうでしたのでしょうか。「その1」で述べたように、当時はまだ電子顕微鏡が開発されておらず、細菌の1/50の大きさしかないウイルスを見つける手段はなく、原因不明の感染症に対して、当時の人々は果敢に挑んでいきます。これを知るために『流行性感冒「スペイン風邪」大流行の記録』内務省衛生局編(2008年平凡社復刻)を参考にしながら紹介していきたいと思います。国内での流行が広がっていくため、1918(大正7)年10月月ごろから流行が始まりその後、一段と流行が進み罹患者の拡大していったため1919(大正8)年1月に、内務省衛生局は国民に向けに「流行性感冒予防心得」を出して、「スペイン風邪」への対処を大々的に呼びかけています。驚くのは、「スペイン風邪」の原因がウイルスであることすら把握できていなかった当時の人々の、未知なる伝染病への戦いは、現代の新型コロナ禍における一般的な対処・自衛方法と驚くほど酷似しています。以下、内務省の記録から抜粋したものをまとめてみました。※注:原文では旧仮名遣いで、分かりずらいところもありますので、一部現代文に書き換えています。

内務省の感染予防啓発ポスターの一部(1)

・はやりかぜはどうして伝染するか

 はやりかぜは主に人から人に伝染する病気である。かぜ引いた人が咳やくしゃみをすると眼にも見えないほど細かな泡沫が3、4尺(約1メートル)周囲に吹き飛ばされ、それを吸い込んだものはこの病にかかる。(飛沫感染)

・(はやりかぜに)かからぬには

1.病人または病人らしい者、咳する者に近寄ってはならぬ(ソーシャルディスタンスの励行)

2.たくさん人の集まっているところに立ち入るな(三密の回避)

3.人の集まっている場所、電車、汽車などの内では必ず呼吸保護器(*マスクの事)をかけ、それでなくば鼻、口を「ハンカチ」手ぬぐいなどで軽く覆いなさい(咳エチケットの励行)

・(はやりかぜに)かかったなら

1.かぜをひいたなと思ったらすぐに寝床に潜り込み医師を呼べ

2.病人の部屋はなるべく別にし、看護人の他はその部屋に入れてはならぬ(罹患者の隔離)

3.治ったと思っても医師の許しがあるまで外に出るな

・他に気を付けること

1.家の内・外を清潔に掃除し、天気の良いときは戸・障子を開け放て(換気)

2.寝具や寝間着などは、晴天の時には必ず日に曝せ

3.用心に亡びなし、健康な人も用心が肝心

4.人前で咳やクシャミをするときは、公徳心をもって「ハンケチ」か手拭などで鼻、口を覆え(咳エチケット)

5.病人の痰、鼻汁などで汚れたものは、焼くか煮るか、もしくは薬で消毒せよ

内務省の感染予防啓発ポスターの一部(2)

 部分的には多少の違いはあるものの、基本的には「三密回避」「ソーシャルディスタンスの確保」「マスク着用」「うがいの励行」「患者の隔離」など、現在の新型コロナ禍に対する感染防止対策と同等の認識を当時の政府が持っていたことが分かります。そしてこれらの対処方法を内務省は警察を通じて、全国で「衛生講話会」を劇場、寄席、理髪店、銭湯などで上演し、大衆に予防の徹底を呼び掛けました。また一方マスク励行等のポスターを刷り、全国に配布しました。また、現代の「アベノマスク」と同じようにマスクの無料配布も一部行われたという記録もあります、現在の新型コロナ禍と同様に、マスクの生産が需要に追い付かなかったという話も出てきます。ただ失敗だったのは、内務省が推進しポスターでも奨励をしている予防接種でした。病原体がウイルスであることすら知らない当時の医学は、スペイン風邪の予防に苦肉の策として北里研究所などが開発した予防薬を注射させる方針を採用し、接種群と未接種群との間で死亡率の乖離があったと記録しているが、これは現代の医学の常識から考えれば、全くの無意味な政策であったが、しかし、当時の技術ではそれが限界だったのでしょう。

 現在と同様に、マスクの買い付け騒動や医療崩壊などの現代と似た騒動もあったようですが、現代に比べるとN95マスクや防護服等の高度の防護器具や、ICUや人工呼吸器、エコモ(ECMO)等の高度医療の器具もない貧しい医療資源で、感染の危険と隣り合わせで奮闘した医療関係者の懸命の努力や、国民の協力により3年間の流行期間中に当時の総人口の42.5%に当たる28,842千人の感染者と、死者数388千人という大きな犠牲を払いましたが、ウイルスの弱毒性への変異、感染者が免疫を持ち集団免疫効果等が要因となり国内の流行は終焉を迎えます。100年前のパンデミックでは感染拡大から終焉まで3年を要しました。現在、ファイザーワクチンの投与が開始され、これを感染終息に向けて一縷の望みとしたい気持ちですが、イギリス型・南アフリカ型・ブラジル型などの変異株が発見され、今後日本での投与が始まるアストラゼネカ製のワクチンでは、南アフリカ型・ブラジル型の変異種には効果がないとの報道もあります。国内でもまだ緊急事態宣言が出されている都道府県もありますが、一日も早くこのウイルスの戦いに勝利できるように「新しい生活様式」を実践して、感染しないように生活するしかないようですね。

 

 

タウンマネージャー

miyakonojyo-tm

福岡県生まれ、2015年より都城市中心市街地活性化タウンマネージャー

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