新型コロナウイルスと茅の輪くぐり

 3月11日にWHOが新型コロナウイルス感染症のパンデミックを宣言しました、その後わが国でも4月7日に、東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・大阪府・兵庫県・福岡県の7都道府県を対象にして緊急事態宣言を発表しました、しかしながらその後も感染者は増加し、4月11日現在、感染者数6,921人、死亡者131人となりました。この中には著名人も含まれています、特に、志村けんさんがお亡くなりになった件は、多くに国民が驚いたとともにショックを受けました。宮崎県においても感染者17人、死者0人となっています。幸い都城市では感染者はまだいませんが、隣接する宮崎市では9名の感染者が報告されています。

新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真

 感染拡大のため、政府では2020東京オリンピック・パラリンピックの延期、不要不急の外出の自粛、クラスター(集団感染)防止の観点から3密「密閉」「密集」「密接」する場所へは行かないことが、呼びかけられた。そのため、イベントや花見、歓送迎会など集団での飲食が自粛され、一方、マスク・トイレットペーパーの買いだめなど市民生活にも大きな影響を及ぼしています。

 テレビのニュースやワイドナショーも新型コロナウイルスの話題一色です。そんな中、ネットニュースを見ていると夏越し大祓いの時期でもないのに、京都の八坂神社で「茅の輪」を特別に設置したとの報道がありました。これは、新型コロナウイルスの感染が拡大していることから京都の八坂神社では、通常、夏に境内に設けられる疫病の退散を願う大きな輪を先月から特別に設置しています。夏越大祓いの時期以外に設けられたのはコレラが流行した明治時代以来、143年ぶりとのことです。この茅の輪は新型コロナウイルスが終息するまでは、設置されるそうです。今回のブログは茅の輪くぐりについて書いてみたいと思います。

 茅の輪の由来については、蘇民将来(ソミンショウライ)という人物についての民話に由来しています。

 蘇民将来の話は、様々な書物に書かれていて、鎌倉時代に編纂された「釈日本各記」や茅の輪くぐりのとても関係深い八坂神社の歴史について書かれた「祇園牛頭天王御縁起」や伊勢などの伝承でそのお話が見られます。いづれも似たような話ですが、一部違う点がありますのでそのあたりを考慮して、簡単に蘇民将来と茅の輪の話を解説します。

 蘇民将来の茅の輪の物語には、古事記では須佐之男命、日本書紀では素戔鳴命(スサノオノミコトという神様と牛頭天王(ゴズテンノウ)という神様が出てきます。(武塔神と表記されたものもありますが、これは素戔鳴命と同一視されています)今回は、「釈日本各記」にある備後(現在の広島県の東半分)風土記の蘇民将来の物語をベースにご紹介します。

 武塔神という神様(=素戔鳴命)がお嫁さんを貰いに旅に出ます。この旅の途中に日が暮れてどこかで一泊できるところを探すことになりました。ある村で長者の巨旦将来(コタンショウライ)に宿泊をお願いすると本来ケチな男だったので宿を貸しませんでした。

 牛頭天王の話では、宿を断ったことに大激怒して、一族もろとも殺してやろうか怒ったのですが、従者の説得でその場では怒りを鎮めます。

 巨旦将来に断られた一行は、巨旦将来の弟で貧しい暮らしをしていた蘇民将来に宿を貸してくれるようにお願いすると。蘇民将来は「狭い家でよければ、ぜひお泊り下さい」と宿を貸します。宿泊させたばかりでなく、貧しい暮らしながら粟餅を振るまうなど、丁重に対応しました。蘇民将来のこの行いに感動した素戔鳴命(牛頭天王)は一泊した後、蘇民将来の家を出て旅の目的である妻を娶り、その帰り道に蘇民将来のところに立ち寄り感謝の気持ちとして「茅の輪」を授けます。そして「蘇民将来のの子孫だ」と分かるように一家の者は茅の輪を腰につけるように言い残して国へ帰っていきます。

 素戔鳴命の一行が帰って間もなくすると、蘇民将来の子孫以外の村人はすべて疫病に罹患し死んでしまいました。素戔鳴命が渡した茅の輪の「魔除け」の力によって蘇民将来の子孫たちは助かり、これ以降、茅の輪や蘇民将来には疫病除けの力がある言われ始めたのです。

 牛頭天王の話は少し素戔鳴命と違っていまして、牛頭天王が蘇民将来の家にお世話になって旅立つときに玉を授けます。その後、その玉の力で蘇民将来はたちまちお金持ちになて行きます。素戔鳴命の話と同様に、牛頭天王が妻を娶って国に帰る途中に蘇民将来の村に立ち寄ります。すると、蘇民将来がお金持ちになった事を嫉んだ蘇民将来の兄、巨旦将来が「今回は、私の家にどうぞ泊まっていってください」と調子のいいことを言いました。前回の一件のこともあり、ひと騒動が起こります、怒りを抑えきれずに牛頭天王は巨旦将来の一族を蹴り殺してしまうという悲惨な事件を起こします。

 巨旦将来を蹴り殺した後、牛頭天王は蘇民将来に対して「茅の輪を作って、”蘇民将来の子孫”と書いたお札を玄関に飾りなさい」と言って帰っていきます。牛頭天王という神様は、祇園精舎の守護神であり暴れ者として有名で(この辺については天照大神が天岩戸にお隠れになる事件を起こした、素戔鳴命とよく似ています)疫病神扱いされていましたが、この一件から一転して除災招福の神様となって、全国様々な地で祀られるようになりました。

 明治以前は牛頭天王という神様はとても有名で、祇園精舎の守護神であったところから「祇園様」とよばれ大変親しまれていました。また、牛頭天王をお祀りした神社は「祇園社」と呼ばれていましたが、今ではあまり聞かれることはありません。これは明治時代の神仏分離令の影響で、仏教に関係する牛頭天王を祀る神社は同一視された素戔鳴命という神様に名称を変えなくてはいけなかったからです。これと同時に祇園社も改名を求められ京都の祇園社は八坂神社と神社名を改めました。今は、元祇園社の祭礼だけは「祇園祭」としてその名を残しています。祇園祭の由来は、貞観11年(869年)に都の疫病が流行し、平安京の広大な庭園であった神泉苑に66本の鉾を立て、祇園社(現八坂神社)の神輿を迎え祇園御霊会が行われました。これが、現在の京都の祇園祭の源と言われています、疫病退散のために、これが各地に広まってそれぞれ形を変え今も続いています。

 もう一方の蘇民将来も厄除祈願のため岩手県の黒岩寺蘇民祭を始め、岩手県各地で形を変えながら蘇民祭が行われています。また、京都の八坂宮や伊勢、志摩地方では、厄除け祈願として、茅の輪くぐりや「蘇民将来」や「蘇民将来子孫」などと記された護符の頒布が行われています。

 上記右のイラスト茅の輪くぐりの作法について少し説明しましょう、茅の輪くぐりのくぐり方は、茅の輪を左・右・左と8の字に3回回るのが一般的です。基本的なくぐりの方法は以下のようになります。

  • 1周目:正面でお辞儀、左足で茅の輪をまたぎ、左回りで正面に戻る
  • 2周目:正面でお辞儀、右足で茅の輪をまたぎ、右回りで正面に戻る
  • 3周目:正面でお辞儀、左足で茅の輪をまたぎ、左回りで正面に戻る
  • 正面でお辞儀、左足で茅の輪をまたぎ、参拝へ

茅の輪くぐりのときには、神拝詞(トナエコトバ)を声に出さずに唱えます。代表的なものは以下のようなものです。

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」
(はらへたまへ きよめたまへ まもりたまへ さきはえたまへ)

また、茅の輪くぐりの時の神拝詞は、地域や各神社で異なるようです。茅の輪くぐりをする際は、各神社でお尋ねるとよいでしょう。以下のように、1周目から3周目でそれぞれ、神拝詞(となえことば)が異なる場合もあるようです。

  • 1周目:水無月の 夏越の祓 するひとは 千歳の命 延ぶというなり
  • 2周目:思ふ事 皆つきねとて 麻の葉を きりにきりても 祓へつるかな
  • 3周目:宮川の 清き流れに 禊せば 折れることの 叶わぬはなし

茅の輪くぐりのくぐり方は、神社ごとに異なります。これは、神社ごとに祭神が異なるからです。

たとえば、1周少ない2周になっている場合、神拝詞が「蘇民将来 蘇民将来」「祓い給ひ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ」となる場合などがあり、混雑時には1周のみになることもあります。

 色々新型コロナウイルスと茅の輪くぐりについて書いてきましたが、次のお休みの日に宮丸に八坂神社があるので、新型コロナウイルス退散の疫病退散いのためにお参りに行ってきます。

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