トレジャーハンティング(その1)

 11 月 24 日(日曜日)「タウンマネージャーと歩くトレジャーハンティング」を実施しました。数日から天気予報を見ると、当日の降雨率が 90 %となっていて、開催前から少し心配していましていましたが、案の定、当日目を覚ますと外は雨模様です。少し憂鬱な気持ちを引きずりながら傘をさして、会場の未来創造ステーションに向かいました。スタッフとの打ち合わせで当初は、まち歩きは 2 時間程度行い、同行者がまちなかで発見したまちのお宝を写真撮影して、その中からこれはと思うものを一人当たり 2 ~ 3 枚選んで発表してもらい、それらを参加者で批評するというような内容で予定していましたが、雨を考慮してまち歩きの時間を1 時間程度に短縮して、タウンマネージャーのこれまでのまち歩きの成果を少しお話することになりました。

  まず、参加者には幕末期の都城の中心街の地図と、現在の地図をお渡しして昔の都城のまちと、現在のまちを見比べてみました、基本的なまちの形は変わっていませんが、現在の東上町通り幕末にはなかったようです。それから幕末期の各通りの名前を確認してまちに出ました。

出発前のレクチャー

 最初は円頭庵通りの石碑を見て、C:PLAZAあたりに円頭庵というお寺があって、その名残りで通りの名前が付いたようです。中町交差点のところに今は暗渠になっていますが川がありここには円頭庵橋があったようです。ここから、東に向かって江戸時代には、今、野辺病院があるあたりに油燈所(菜種油を絞って燈油を作る工場)があったところから油屋小路と呼ばれていました。肉のフクシマ先の路地を入ると戦前のものと思われる和洋折衷の不思議な家があります。この付近にはかなり戦前の建物が残っていますので、都城大空襲の被害がほとんどなかったのかもしれません。この路地を抜けると、志和池殿小路(しわちどんすつ)に突き当たります。「この通りは、本町(上町)の日本情報クリエートのビルあたりから志和池島津家屋敷(宮田眼科あたり)に突き当たり北に折れて、油屋小路及び大昌庵馬場を横断して、唐人町(中町)の楣門(たれもん)の下に出る。」と史跡の木柱に説明文がありました、ここを南に向かって歩くと不思議な建物に出会います。

 青いこの建物は、旧武田産婦人科です、ご注目頂きたいのは軒下のでこぼこの装飾です。これは、ルネッサンス調の赤レンガ建築によくみられるデンティル(歯飾り)と言われる装飾を模したものだと思われます。参考までに赤レンガ建築のデンティルと並べてみました。ちょっとは歯抜けになったところがかわいいですね。  この地区には旧山内医院も昭和 12 年の建築です。玄関周りの装飾や寄棟の屋根などからかなり石造りを意識した建物になっています。この地区は今でも病院の多い地区ですが、院長先生たちが、都会の医学部で学び卒業後修業を積み地元で開業する際には、都会風の建物にしたいと凝った建物にしたのかもしれません。建築物としては、今回最後の物件として宮崎太陽銀行の前身である旧日向無尽(大正 15 年建築)の建物を見ました、外観は塗装されていますが、端っこの方にはクラシカルなタイルが所々に見ることができます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です