都城市中心市街地活性化タウンマネージャーの日々

都城市中心市街地活性化タウンマネージャーの日々

まちに出て路上観察をしてみませんか。

路上観察学会

「路上観察学会 小倉支部 支部長」これは、都城市中心市街地活性化タウンマネージャーのもう一つの肩書である。
 「路上観察学会」は、1986年(昭和61年)に会長に藤森照信(当時、東京大学生産工学技術研究所 助教授、建築史家)、事務局地に松田哲夫(筑摩書房 編集者)、会員に故赤瀬川源平(作家、画家)、南 伸坊(イラストレター、エッセースト、装丁家)、林 丈二(エッセースト、明治文化研究科)らが中心として設立された。
当時、藤森照信氏は「東京建築探偵団」として明治以降の近代建築の研究を行っていた、故赤瀬川源平氏は、まちなかの無用の長物「超芸術・トマソン」、南 伸坊氏は「張り紙考現学」、林 丈二氏はマンホールの観察や収集を行っていた。これらの細分化専門分化したまちなかにある面白いものを観察する人々があつまった団体である

 

 藤森照信氏は「路上観察」芸術と博物学を懐かしい故郷として、考現学を母として生まれたと述べている。しかし、路上観察者にとって芸術は、敵ではないが過去のものである。もちろん懐かしい故郷なので、年に何度か訪れて心を休める程度で良いとしている。
そして芸術と路上観察の違いは、芸術には作者が居て作品が生まれる、その作品には作者の心や思想や美意識が凝集されている。そしてそれは作品と呼ばれる。作品は美術館で鑑賞するものである。ところが、路上観察は目玉の対象とするものは、マンホールの蓋や超芸術トマソンや消火栓やビルのかけらや電柱の切り株なのだから、こんなものは鑑賞、つまり、鑑みたり(前例に照らして正しいかどうかを判断すること)、賞したりするものではない。作品は作家の意図の塊だから鑑も賞も出来るが、マンホールの蓋や電柱の切り株みたいな思想も心も詰まっていない無意図ものは、これはもう物件と呼ぶしかない、こうした物件は鑑賞じゃなくて観察するものである。
 もちろん、鑑賞にくらべ観察が低次元である訳ではない、観察という行為には〈夏休みの宿題・朝顔の観察〉で分かるように、理科のココロというのか科学性がある。現代の最先端技術や遺伝子科学のような目に見えないところまで突き進んだ科学性ではなく。誰の目玉でもわかる〈子供の科学〉性が漂っている。観察という言葉をこのようにとらえると、目玉の行為としては、鑑賞と勢力を二分する大切なものだとご理解いただけよう。

 

路上観察学会

 

神は路上に宿りたもう


紙上 ⇒ 路上

鑑賞 ⇒ 観察

大人の芸術 ⇒ 子供の科学

作品 ⇒ 物件

 

 

路上観察学会

 かつて、路上観察学会が発足した当時は、フィルムカメラで紙媒体でしか発表の場がなかったが、現在では、スマホさえあれば写真も撮れるしSNSで発表することもできる、便利間時代になりました、皆さんもまちに出て路上観察をやってみませんか。

 

現在、各地に路上観察学会を名乗って活動している団体がありますが、路上観察学会 小倉支部は、2011年(平成23年)に会長の藤森照信(東大名誉教授)の公認を受けている、数少ない路上観察学会の公認支部です。


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